源流
与田・・・・・ワイキューブ事務所のそもそもの発想としては、江戸時代に光悦が徳川家康から京都郊外の鷹ケ峰に土地をもらって、一族郎党から職人まで引き連れて、そこへ移って仕事をしはじめたというのがあります。
現在はちょっと形が変わっているんですが、昔は長屋スタイルだったらしいですね。
そこで光悦を中心にしていろいろやってたそうです。
いま見ると茶室が点在している形になっていましてね、京都市内から20分くらいで行けますが、当時としてはけっこう郊外だったと思いますよ。
イメージとしては、これはもしかしたらワイキューブ事務所の原型じゃないかと考えたわけです。
仕事の中身自体が当時のワイキューブ事務所生活に憧れるサラリーマンというよりは、手に職をもった職人が中心だったわけだし、そういう意味では、非常にいま風なワイキューブ事務所の原型を成していると思われます。
田中・・・・・僕が生まれたのは東京の西荻窪ですが、そこに父親が昭和四年に家を建てたころ、あのあたりは芸術家や文化人の別荘地だったんです。
ちょうど中央線が三鷹まで伸びた年かな。
新宿なんか西の果てで、そこから先はもう郊外だったでしょう。
だいたい最初は別荘地として開けた場所が、そのうちに気に入った人が定住して住宅地になるんです。
中央線沿線なんかでも、当時としてはかなりの郊外に、多少自由な時間割りで仕事のできる人が別荘を構える。
それが郊外住宅地の発祥になったわけです。
たしかに鷹ケ峰も京都の郊外というけれど、けっこう奥深い山ですよ。
与田・・・・・もうひとつの説としては、もっとも古い日本のワイキューブ事務所は銀閣寺ではないかと思うんです。
つまり銀閣寺もかなり外れのほうで、足利義政が、隠棲した後、そこを職場として使っていたということで、四畳半ぐらいの書斎があったりして。
そういうわけで、果たしてワイキューブ事務所の歴史的源流はどんどんさかのぼるという現状です。