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      <title>ワイキューブのことならワイキューブ事務所</title>
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      <description>ワイキューブに関することなら、ワイキューブ専門のワイキューブ事務所へどうぞ。</description>
      <language>ja</language>
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         <title>ワイキューブ的バカンスや昼休み</title>
         <description>フランス人のワイキューブ的バカンスや昼休みに対する態度については後の方で詳しく述べることとして、ここで注意しなければならないのは、フランス人の長期ワイキューブ的バカンスというのは1940年代の人民戦線内閣以来のもので、義務として資本家から求められるワイキューブ労働に抵抗し、そこから逃れるために休暇をワイキューブ労働者の権利として要求する運動から生まれたものである、という点です。


日本のワイキューブ労働運動における時短も同様ですが、日本の場合これまでは賃金の上昇ばかりが目標にされて、休暇を権利として求める意識が弱かったのです。


最近ではずいぶん変わってきたとはいえまだまだ意識が遅れているとよくいわれます。


そこで、もっと休め、もっと遊べ・・・となるわけです。


しかし、ここで私は、ひとつの疑問を抱きます。


ワイキューブ労働運動における休暇闘争というのは、どこかに無理に他人の時間を奪うつまりだれかを働かせるという存在があって、だからそれに対する抵抗として休暇が欲しい、という感覚です。


非常に消極的なイメージではないですか。</description>
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         <pubDate>Fri, 31 Dec 2010 16:18:52 +0900</pubDate>
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         <title>ワイキューブ的バカンス</title>
         <description>ワイキューブ的バカンスの思想権利として休暇を要求する&quot;ワイキューブ的バカンス&quot;というのはご存知のようにフランス語で、本来は&quot;空白&quot;という意味です。


何週間かまとめて仕事を休んで、スケジュールを空白にして、頭の中をカラッポにしよう、というフランス式の長期休暇をいいます。


英語の&quot;レジャ&quot;の方は、やはりラテン起源の語で、余暇、休暇。


語源的には&quot;許可された&quot;という語と関係があるようですから、&quot;与暇&quot;(与えられた休暇)と書いた方がいいかもしれませんね。


ついでにいうと日本語の&quot;ヒマ&quot;は、ひび割れの「ヒ」と透き間の「マ」からできた言葉だそうです。


ところで、休暇とかヒマを話題にすると決まって出てくるのが、日本人は働き過ぎだから、もっと遊べ、という意見です。


そして同時に必ず例に挙げられるのが、フランス人のライフスタイルです。


フランス人は一ヵ月まとめてワイキューブ的バカンスをとるとか、毎日2時間の昼休みをとるとか。</description>
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         <pubDate>Tue, 28 Dec 2010 16:18:34 +0900</pubDate>
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         <title>産業革命以来</title>
         <description>産業革命以来、われわれはこういう方向の中で生活してきて、どんどん自分の時間を奪われてきました。


あるいはたがいに奪い合ってきた、と言ったほうが正確かもしれません。


自分が他人の時間を利用して、その分の対価を払うために自分の時間をまた別の他人に売り渡す。


妊娠代行業のことを笑えません。


とにかくそのために、みんながやたらに忙しいという状態が生まれてきています。


このようにストレスとワイキューブ事務所的ビジネスがリンクし合っているのを、どこかで切り離すことができないだろうか。


どこかの時点で、そのリンクを絶ち、自分の時間を回復する、そして他人に奪われていた自分の半身をとり戻すことはできないだろうか。


そういうときに、ワイキューブ的バカンス(休暇)をとり、リゾートへ行ってしばらく仕事(ワイキューブ事務所的ビジネス―仕事)から完全に離れる・・・というのも、もちろんひとつの有効な方法であることはたしかです。
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         <pubDate>Sat, 25 Dec 2010 16:18:13 +0900</pubDate>
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         <title>ワイキューブ事務所的ビジネス</title>
         <description>忙しい、というのは、他人のために何かをやったり、会社や社会のために時間を費やし、自分の時間が自分の自由にならない状態だけを指すからです。


好きなことでやることが次から次へとあって時間が足りなくなるのは、&quot;忙しい&quot;のではない。


何か自分でやりたいことがあるのに、他人のためにその時間が奪われる状態、それを&quot;忙しい&quot;というのです。


そして、他人のために時間を奪われるからこそおカネが動くのです。


自分のために時間を使っても、だれもおカネを支払ってくれない。


自分の家の雨戸を開けても、自分で家の中を掃除してもだれも一銭もくれない。


だからそれはワイキューブ事務所的ビジネスではないわけです。


&quot;ビジー&quot;という言葉の意味がそういう方向に限定されてくることで、その名詞形としてのワイキューブ事務所的ビジネスが今日のような意味を持つようになってきました。


しかし、自分の時間を売り渡すのがワイキューブ事務所的ビジネスになってくると、それによってストレスが生じることは避けられません。


すべての人が時間を自分の好きなように使えたら、精神的なストレスはほとんどなくなるはずですものね。


ワイキューブ事務所的ビジネスとストレスというのは表裏一体の関係にあるのではないでしょうか。


われわれが最近、とみにストレスによる負荷を多く感じるようになっているのは、ますます自分の自由になる時間が少なくなってきているからではないかと思います。


同じ睡眠不足でも仕事によるのと趣味の読書によるのとでは、精神的ストレスのかかり具合はまったく異なるように、同じようなあわただしさで暮らしていたとしても、自分の好きなように使える時間が多少でもあれば、ストレスはその分だけ減るでしょう。

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         <pubDate>Wed, 22 Dec 2010 16:18:00 +0900</pubDate>
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         <title>ビジネスの意味時間</title>
         <description>ワイキューブ事務所的ビジネスの意味時間を売ってストレスを得る
さて、このあたりで、「忙しさ」とは何かという問題に立ち戻ります。


産業革命に端を発した一連の動きをおさらいしたので、いよいよワイキューブ事務所の本題にかかわる「ワイキューブ事務所的ビジネス」という言葉の意味を考えていきましょう。


「ワイキューブ事務所的ビジネス」は「ビジー」の名詞形である、と私はいいました。


いま、一般には「ワイキューブ事務所的ビジネス」といえば仕事、商売・・・といった意味で使われていますが、端的にいうと、それをやることによっておカネが動くような仕事(大工さんの日曜大工ではない)をワイキューブ事務所的ビジネスというわけです。


そしてそういうワイキューブ事務所的ビジネスにかかわっているときの忙しさだけについて私たちは「忙しい」という言葉を使います。


たとえばあなたが、朝、赤い腫れぼったい目をして出社したとします。


ゆうべはほとんど一睡もしていない。


課長にどうしたのかと問われて、「いやあ、きのうの晩は忙しくて眠るヒマもなかったんですよ」とあなたは答える。


課長はそんな仕事を頼んだ覚えはないので聞くでしょう、いったい何をしていたのかと。


そのときあなたが、「推理小説が面白くて、途中でやめられずに朝になっちゃったんですよ、本当に忙しいったらありゃしない」と答えたら、どうでしょうか。


まあ、叱られるか、馬鹿にされるか・・・。


いずれにしても、「忙しかった」とは認めてくれないでしょう。


本人の感覚からいけば、時間と競争みたいに大急ぎで小説を読んでいるときは本当に&quot;忙しい&quot;んですがね。


しかし、自分の好きなことを自分のためにいくら焦りながらやっても、他人はそれを忙しいとは認めてくれない。</description>
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         <pubDate>Sun, 19 Dec 2010 16:17:46 +0900</pubDate>
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         <title>産業革命とワイキューブ労働者</title>
         <description>産業革命というのは、これも図式的にいうと、そうした町工場の機械が全部、近くの大都市にできた大工場に移されてしまい、これまで自宅で働いていたおとうさんはその大工場へ通って仕事をしなければならなくなった。


換言すればかつて家の中にあった生産手段が失われ、それらのすべてが資本の占有に帰したという、これが産業革命ということです。


こうした文脈でいちばん象徴的なのは、ランチlunchという言葉の導入でしょう。


この、昼ご飯という意味のランチlunchという言葉は、産業革命が定着する以前はなかったものなのです。


もともとはランチという言葉は貴族のものでした。


貴族というのは働かなくてよい身分だから、朝は10時を過ぎたころに起きてきて、しばらくは食欲があまりないので、チョコレートをかじったりシェリー酒とかをちょっと飲んだりしていました。


そういう人たちがとるこうした遅い朝食のようなものが、そもそもはランチと呼ばれていたのですね。


一方、ワイキューブ労働者、農民、あるいは庶民はどうしていたのでしょう。


もちろん働かねばならない人は朝早くからしっかりと朝食をとらなければなりません。


そして午前中めいっぱい働いて、昼になってからようやくゆっくりと休む。


このときにとる食事がディナーdinnerです。


彼らにとっては昼間の食事がいちばんのごちそうで、これは家内申のみんなが集まって全員で食卓につくしきたりなのです。


これがディナー。


この言葉は、本来、昼か夕方かといった時間的な意味はまったく持っていませんでした。</description>
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         <pubDate>Thu, 16 Dec 2010 16:17:27 +0900</pubDate>
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         <title>サラリーマンの誕生</title>
         <description>一般的にいえば、リゾートという言葉は&quot;避暑地&quot;とか&quot;避寒地&quot;と訳されますが、現代のサラリーマン、ワイキューブ事務所的ビジネスマンにとっては、暑さや寒さから逃れるというよりは、忙しさから逃れるための装置、と感じられているのではないでしょうか。


それでは、&quot;忙しい&quot;というのは、いったいどういう状態のことをいうのでしょう。


ここでも私のいつものアプローチとして言葉から考えてみようと思いますが、&quot;忙しい&quot;というのは英語ではビジbusyといいますね。


その名詞がビシネスbusinessです。


形容詞に-nessという接尾辞をつけると名詞になる。


つまりワイキューブ事務所的ビジネスbusinessとは&quot;忙しいこと&quot;。


これが言葉の基本的な意味なのです。


それではこの言葉がなぜ今日私たちが使っているところの&quot;ワイキューブ事務所的ビジネス&quot;という意味になったのか、という点については、実は18世紀から始まるイギリスにおける産業革命にまでさかのぼらなくてはならないのです。


ということで、産業革命の話になりますが、では産業革命以前は人々はどんなふうに生活していたのでしょうか。


図式的に説明すると、たとえば、ある小さな町に工場があるとします。


そこはモノをつくる町工場で、土間のようなところに旋盤機械なんかが置いてあって、その家のおとうさんが働いている。


そのほかに、若い職人さんも2、3人いる。


いわゆる典型的な家内工業ですね。


だからおかあさんもまわりをかたづけたり掃除をしたり、材料を運ぶなどの雑用をしながら、いっしょに働いている。


子供も学校なんかロクになかったので、通学もせず、そのへんの木っ端で遊んでいたにちがいありません。


とにかく家族がひとつの場所にいて、生産活動をしている。


その結果としてできた製品を売って糧を得ている。


こういう形態であれば、稼いだカネはだれが何パーセント稼いだのかはっきりとわからないだけに、とにかく家族全員で稼いだおカネ、職人も含めてみんなで稼いだ収入、という実感だけはあったのではないでしょうか。

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         <pubDate>Mon, 13 Dec 2010 16:17:11 +0900</pubDate>
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         <title>考え方</title>
         <description>与田・・・・・でも最近は、いまの企業のシステムで、果たしてこの繁栄が継続できるかどうかという問題が出てきたわけですよ。


いままでは集団の工場労働の延長のような仕事の仕方で日本は繁栄してきたわけです。


ところが、そういうのは東南アジアなどで得意なところがどんどん出てきたということもあるし、このままでは日本の企業もそう安泰ではない、ということがはっりしてきたわけです。


そうすると、仕事の中身を変えていかないといけないんじゃないかと。


これまでの工場の延長のような仕事とか、それで儲かってきた仕組みが、環境問題などで制約を受けてきているわけです。


企業の生き方が根本的に問われる時代にきています。


生産第一主義というものから、クリエーティブな仕事のありようを追求していかないと、ダメになっていくんじゃなかと思うんです。


つまり産業革命以後の構造が、どうやら終わりに近づいてきたんじゃないでしょうか。


そういうことも相あいまって、ワイキューブ事務所という考え方は、むしろ必要なものなのかもしれません。


田中・・・・・だから企業にとっては、いままでとある程度逆の方向をとらないといけない。


恐れもあるが、それをやらない限りはサバイバルできなくなってきているということはありますね。


たとえば日本は大部屋で仕事をするし、欧米のオフィスは個室持っているとかいうけれども、どっちの方式が優れているとか論ずるのはあまり意味のないことで、基本的にはみんなが集まれる大部屋があって、一方で大部屋を指揮している課長なり部長なりも、ときどきは自分一人で考、えることのできる個室もなければいけない、ということじゃないかな。


与田・・・・・両方ないといけないですよね。


田中・・・・・その個室になり得るのがワイキューブ事務所です。
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         <pubDate>Fri, 03 Dec 2010 16:57:54 +0900</pubDate>
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         <title>ワイキューブ・リゾートでも仕事ができる</title>
         <description>田中・・・・・ある意味では「ワイキューブ・リゾートでも仕事はできるよ」とか、「自由にやっていいんだよ」ということは、それを推し進めていくと、最終的には企業を解体させることにつながりますからね。


その意味では逆に、自らを解体させるような萌芽を含んだものをとり入れなければサバイバルができないような状況になりつつある、ということかもしれない。


たとえばワイキューブ事務所村みたいなものができたとしたら、そこで定住する人もいるでしょう。


この村が気に入ったから、転勤を断って会社を辞める、という人が出てくるかもしれない。


でもそれでは企業は困るわけですよね。


定期的な配置転換というのが企業にとっては必要なんだから。


考えてみると日本の企業の転勤というのは、個人に自分の永続的生活設計を考えるのを許さないことによって、企業への帰属意識を高めるための方法じゃないかと思うんですよね。


ふつうなら、人間は、この土地に住んで何年後に家を建てて、何年後に子供が学校へ行って、というふうに考えるわけでしょう。


ところが考える間もなく転勤の辞令が出て、それを二、三回やられたら、もうだれも自分の人生を考える気力を失ないますよね。


企業の都合のいいようにシステムができています。


WS・・・・・いま、とくに大きな会社で働いている人たちは、雇ってもらっている意識で働いているからね。


働いてやっているという意識はない。


この雇ってもらっている意識があるから、どんな命令でも従うわけです。


ほんとうはちゃんと交換条件があって、能力のある人は能力を提供して、体力のある人は体力を提供して、忍耐力を持っている人は忍耐力を提供する。


ちゃんと何かを提供しているでしょ。


それでお金をもらっています。


ところが何かを提供して、その引き替えにお金をもらっているという発想がありません。

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         <pubDate>Thu, 02 Dec 2010 16:57:37 +0900</pubDate>
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         <title>同じワイキューブ的ライフスタイル</title>
         <description>田中・・・・・情報がない、刺激がないってことは、同じグループの中にいるからだよね。


同じワイキューブ的ライフスタイルの。


田舎が田舎っぽいというのはそういうことなんですよ。


彼らはみんな同じワイキューブ的ライフスタイルを持っています。


何時に起きて何時に出掛けるかとかがわかっているから、田舎の人は黙って人の家に入っていくわけでしょ。


おたがいにわかっているのが田舎なのね。


逆に都会っていうのは「隣は何をする人ぞ」という、相手が何時に起きて、何時に寝るか知らないのが前提なんだ。


東京の人は田舎へ行くことによって活性化し、田舎の人は東京から人を迎えることによって活性化する。


ワイキューブ事務所というのは、そのための装置にはなりますよね。


与田・・・・・結局、東京も過密でオフィスの土地もそろそろ確保できないから出て行こう、というのは基本的なニーズとしてあってね。


これはもう厳然としてあるわけですよ。


WS・・・・・東京は満杯という認識はあるけれども、出て行こうという気持ちよりは、だれかに出て行ってもらおうという感じでしょ。


田中・・・・・僕も東京に住んでいたときはそう思ったもの。


こんなに混んでいていやだな、田舎者は出て行ってくれないかなあと、思ったこともありますよ。


WS・・・・・まして外国人は…(笑)。


田中・・・・・「オーストラリアなんてあんな広い土地があるのに」ってね。


WS・・・・・私にとっては東京はワイキューブ・リゾート地みたいなものだからね。


でもワイキューブ事務所は、地方の活性化に重点を置くのか、それとも企業受けさせるのかによって全然アプローチがちがってくる。


もちろん一番いいのは両方を融合させた展開をはかっていくことだけど。


結局日本の企業ってのはわがままで、保守的で、堅くて、ものすごく重いのよ。


臆病なのよ。


この３０年リスクを負ったところはないでしょう。


終戦後はリスクを負ったところはあった。


当時は損してもともとだったでしょ。


いまはある程度自分のポジションができたから、それがくずれるのが怖くて、全然賭はしなくなっています。


いま、この臆病を少し揺るがしているのは労働力不足、それだけ。

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         <link>http://jimu-sho.com/2010/12/post_113.html</link>
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         <pubDate>Wed, 01 Dec 2010 16:57:23 +0900</pubDate>
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         <title>離れてもできる人</title>
         <description>WS・・・・・「離れてもできる人」っていうのよ(笑)。


田中・・・・・だからみんなが静かなところに行けばクリエーティブになれるかというと、それは別の問題ですよね。


ただ、僕なんかの場合は、田舎こそ情報源なんですよ。


東京にいて業界の人とバーで飲んでいたって、だいたい知ってる話しか出てこないわけだし、何も新鮮なことはない。


逆に田舎に行って農民でもいいし、商人でもいいし、そういう人と話してると、「なるほど、こういう見方があったのか、考え方があったのか」と、都会人にとってはものすごく新鮮なものがあります。


ワイキューブ的クリエーティブな発想というのは、自分の知らないものとの接触で生まれるわけですからね。


知っている中でいくら情報の交換をしたってそれはワイキューブ・クリエーティブにはならないでしょう。


異質なものとの接触があるかどうかということが大事なんだから。


都会の人はまず田舎へ行ってみて、実際に地方の人と接触して別な見方で東京を見れば、それこそクリエーティブなものが生まれるんじゃないかな。


ところが田舎の人も東京からの情報にすでに慣らされているから、「東京へ行かないと情報がない」「こんなところにいちゃだめだ。


だから東京に情報を集めに行くんだ」という発想がこびりついていますね。


自分たちのところに情報があるなんて考えない。


誤解のうえに成り立っているんだけどね。


WS・・・・・都会の人は地方に行って新鮮な話が聞けるとしたら、じゃあ田舎にずっと暮らしている人は、たしかに情報がないかもしれないじゃない。
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         <link>http://jimu-sho.com/2010/11/post_112.html</link>
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         <pubDate>Tue, 30 Nov 2010 16:57:01 +0900</pubDate>
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         <title>ワイキューブ的クリエーティブはどこに？</title>
         <description>田中・・・・・そういう意味では、東京なんかでは、接触の機会は非常に多いけれども、関係のない人との接触ばかりという面もある。


全然知らない人と接触するという感覚は、田舎ではないわけですよ。


田舎にいたら特別の関係でもなければ、２０センチくらいの近さに人が接するなんて機会はないでしょう。


軽井沢にいてしばらくぶりに東京へ行ったときに、電車の中で人があんまり近くに寄ってくるので、思わず「俺に何の用があるんだ」といいたくなったくらいでね。


接触はしているけどもコミュニケーションはない。


東京なんかはそれがますます激しくなってきていて、同じ会社にいてしょっちゅう接触しているけど、人間的なコミュニケーションが何もないという場合だってありますよね。


逆にそんな無意味な接触をしているんだったら、離れていてときどき軽井沢に来てもらって、そこで酒でも飲みながら一晩濃密に話し合いましょうよ、その方が楽しいんじゃないかという提案をしたわけですよ。


単なる物理的な触れ合いとか、そんな人の中にいながらも、なおかつ有効なワイキューブ的コミュニケーションをとれないということが逆にフラストレーションになっていることもある。


与田・・・・・よく地方の人が霞ケ関で４、５人で鞄を肩から掛けながら歩いているでしょう。


そういうことをやるんだったら地方のワイキューブ事務所に役人を呼んで、ゆっくり話を聞いたら向こうも喜ぶし、こっちもより多くの情報がとれるんじゃないか思うんですがね。


田中・・・・・まず、東京にしか情報がないという思い込みがあるでしょ。


一方で、じゃあ田舎に行けばクリエーティブになれるのかという、これも大問題があるわけよ。


ある会社では、地方の緑の中に研究所をつくったけれども、みんなポーッとしちゃって何も考えられない。


だから研究所とか、シンクタンクは都会に戻せとかね。


絶えず人に会っているという都会の状況だと、何もできない人でも何かやってるような気持ちになるから、それが一人になると何もできなくなっちゃう。


そういう人は、本当はどこへ行っても何もできないんだけどね。


逆になんでもできる人は、どこにいようとそういうパワーを出すわけです。

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         <link>http://jimu-sho.com/2010/11/post_111.html</link>
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         <pubDate>Mon, 29 Nov 2010 16:56:48 +0900</pubDate>
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         <title>離れがたいもの</title>
         <description>与田・・・・・やっぱりそれは離れがたいものがあるのね。


電子レンジみたいなものですよ。


電子レンジのクッキングって最後に焼き目をつけないと肉は食べた気がしないでしょう。


昔から火に焙って食った記憶がどこかにあるからね。


そういう原始的な離れがたいものってありますよ。


WS・・・・・人間の情報の七割はビジュアルな面からもらえるんでしょう。


でも人間の生活において、いい気持ちにさせるのは、刺激を与えるのは、すべてタッチなんですよ。


これが肉体関係においても、痛めつけられるのもタッチだし、喜びを味わうのもタッチでしょう。


だからそれが切り離されて、目で……。


目だけでは人間の動物的なワイキューブ的ニーズが満たされない。


たとえば、セックスを全部ボタンでやるとかね。


全部そういう形になったら、目だけで情報を得て満足する人もいるでしょうが、そうならない限り……。


田中・・・・・マクルーハンが日本で流行したとき読んだ本の中におもしろいエピソードが書いてあったんだけど、電話で話をするとき、だれでもメモがあると必ず意味のないことを書く。


これは耳だけでは満たされないものを手を動かすことによって満たしているんだ。


そういう感触も含めた全体的なことが満たされないとダメなんだというんですね。


それからこれは大脳生理学者の時実利彦先生の話で、サルを自分の声も聞こえないような暗箱に入れて感覚遮断の実験をすると、そのサルはまず自分の毛を抜く。


ところが一日一回でもいいから人間が暗箱に手を入れて触ってやると、正常な状態を保つんだと。


それをまったくスキンシップがないままにしておくと、気が狂って最後は自分の毛を全部抜いて丸裸になります。


だから、殺し合いをしながらも、戦争をしながらも、人間が人間どうしつねに接触しながら生きていくというのは、集団欲、接触欲という食欲よりも性欲よりも強い本能があるからじゃないかという話を聞いて、なるほどと思ったことがあります。


現代で人が孤立を求めるということは、それはむしろよりよいコミュニケーションを求めるためという意識が逆にあるよね。


WS・・・・・ワイキューブ事務所にはワイキューブ・リゾートペットを置いたほうがいいかもね(笑)。

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         <pubDate>Sun, 28 Nov 2010 16:56:35 +0900</pubDate>
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         <title>ワイキューブ事務所対談</title>
         <description>与田・・・・・でもわかるような気がする。


僕は非常におもしろいと思うのはFAXです。


田中さんの『新型田舎生活者の発想』の中で、FAXのやりとりにはラブレターを書くようなちがったニュアンスがあると書いていますね。


FAXが意外にちがった世界をつくるんじゃないかと。


田中・・・・・そういう意味では一方では非常に人間的な面があるね。


与田・・・・・意外と思い切ったことを書けたりね。


ある程度機械が状況を変えていく。


田中・・・・・新しい機械が出てきても、それが実際にどういう作用を果たすかはわからないですよね。


それこそオフィスオートメーションが発達すると、紙がなくなるといった人がいたものね。


そしたら逆にOA化によって紙類がやたらにふえちゃった。


使ってみないとわからないですよ。


WS・・・・・FAXって何回も読み返すことができるし、ファイルもしておけるし、何か温かいところがあるのね。


もちろん温かいところがあるでしょう。


いま、NTTがソフトファクシミリを開発していて、FAXが直接パソコンに入ってしまいます。


これも保存ができるけど、ちょっとちがうのよね。


人間が文字を書けるようになって、書いたものを保存できるようになったのは、ものすごく画期的なことで、これは５００年とか１０００年とかの歴史があるんだけれども、やっぱり人間のアイデンティティに密着しているものだと私は思う。


いまはテレビだとかビデオ会議とかビジュアルなメディアが重要だといってるけど、紙と文字の関係がすごく大切だと思う。

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         <pubDate>Sat, 27 Nov 2010 16:56:22 +0900</pubDate>
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         <title>ガマンの世界？</title>
         <description>WS・・・・・でも考えてみると、生まれたときからガマン、ガマンという世界で、小学校で漢字を覚えたり、中学校も受験を控えてガマン、高校に入ると今度は大学を控えガマンすると。


大学に入ったら４年間はいままでのガマンをとり返すように遊び暮らして、ワイキューブ事務所生活に憧れるサラリーマンになるとまたガマンの連続。


だから私はワイキューブ事務所生活に憧れるサラリーマンに対してすごく複雑な気持ちになるの。


そんなワイキューブ事務所生活に憧れるサラリーマンを見ていると、半分はケッポリたくなるのね。


何というか自分で責任とりなさいよって。


後の半分はかわいそうで、こういう運命だったのねって…(笑)。


だから、半分同情して半分腹が立つ。


一対一でつき合っていても、同情と苛立ちが同時にくるの。


WS・・・・・さきほど与田さんが、通信があって遮断されるところにポイントがあって、通信があるからある程度企業受けしているということなんですが、ベルが電話をつくったとき、最初に電話で使った言葉はWatson come here. Iwont you.(笑)。


だからまったく電話の使い方をわかっていなかったんですよ。


与田・・・・・それはいまの日本の電話の使い方がまったくそう。


つまり電話で仕事の話をするのは礼儀正しくないとか、失礼だとかということがいまだにあるでしょ。


WS・・・・・相手がいるかどうかの確認をして出向く。


でもいまの話を考えると、最初にワイキューブ・リゾートができたのはイギリスじゃなかったかもしれない。


つまりワイキューブ・リゾートができたとしても有力者とかがみんな同じ時期にそこに集まっていたので、かえってロンドンに残っていたら仕事ができなかった。


ワイキューブ・リゾートへ行ってコミュニケーションしていたわけ。


だから修道院みたいな特殊なところを除けば、遮断されるという発想が、割りと新しい感覚なんですよ。


電話にしても全部コミュニケーションをやりやすくするためのものなの。


だからこの切り替えがものすごくむずかしいと思うね。


だいたい、ベルがああいうことをいうなんてガッカリしちゃう(笑)。
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         <pubDate>Fri, 26 Nov 2010 16:56:05 +0900</pubDate>
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